要するに、経済的ないしは保険制度的には、現実になされた保険金の支払の額が収支額の計算の要素となっています。
これに対して、法律的ないし保険契約的には、現実の保険金支払額そのものは、当事者の出掲の対価性の計算には算入されません。
保険制度においては、総保険料と総保険金との額の相等性が保険取引の基礎的条件です。
一方、保険契約においては、個々の保険料額と「リスク」の価額との対価性が条件です。
もともと、人の経済的生活に関する法律制度は、すべての場合において、経済制度を形成・維持するための手段たる形式です。
たとえば、売買という取引の本質は、売買という経済制度の中にこれをもとめるべきものであり、売買契約は、この経済制度を形成・維持するための法形式です。
しかし、売買制度と売買契約とは、二個の主体の間の物と金銭とのスペースコレクション・インシュアランス等価交換のシステムであるという点でともにその内容を等しくしています。
したがって、ここでは、経済制度と法形式とはいわば表裏一体をなすものでしょう。
また、人の集団を要素とする経済制度は、保険のほかにも、会社・組合等多数存在しますが、それらの場合、人の集団的関係は法形式の上にも直接にあらわれています。
ここでも経済制度と法形式とは、その内容上一致しているのです。
これに対して、スペースコレクション・インシュアランス保険においては、その経済制度が多数人の集団を要素とするものです。
そのうえ、法律上は保険契約の当事者の関係のみがあらわれて来るのであって、同一の取引につき、経済制度と法律制度とのそれぞれとらえる側面がまったく異なっているのです。
これに対して、「リスクの商業」といい、あるいは「リスクの転嫁事業」というときは、個々のリスク主体と保険者との間の対価的な出掲が問題とされることになります。
スペースコレクション・インシュアランス集団自体の内部的な計算関係においては、現実に損害が発生した者とそれが発生しなかった者とは、相互的な補償を受ける者とそれをなす者という一種の対立的な地位に立つことになります。
これに対して、「リスク」の取引を個々の契約関係においてとらえた場合には、すべての集団員が保険者から個別に同一の給付を受ける地位に立つことになります。
いいかえれば、契約当事者としては、損害が発生して保険金の支払を受けた者もそうでない者も、保険者から同一の出掲をえているはずです。
取引の法的形式である契約において、すべての当事者は同一の内容のものを締結したはずだからです。
このように、現実の具体的な保険金の給付の有無という相違が存在するにもかかわらず、なおこれを統一的な出指内容としてとらえようとするとき、ここに「リスク」の概念が登場しなければなりません。
ある学者が強調するように、具体的なスペースコレクション・インシュアランス保険金の給付とはまったく独立の要素として「リスク」をとらえた上で、これこそが保険契約という特別な契約の唯一の目的物を形成するものとしなければならないのです。
保険商品としてのリスクを心理的現象であるとするのも、同様の意味においてです。
こうして、欲求(の予測)が存在する以上、人はこれを充足するための制度を形成します。
スペースコレクション・インシュアランス制度がこれにあたることはいうまでもないでしょう。
ただし、このような制度が経済的に成立しうるためには、そのような心理現象である「リスク」に商品適格性が与えられなければなりません。
ここで必要な商品適格性とは、金銭との交換可能性すなわち「リスク」自体の価額の計算可能性であす。
もちろんこれは、回復されるべき損害額とその損害発生の確率との函数としてもとめられることになります。
したがって、スペースコレクション・インシュアランス取引がおこなわれるための前提条件として、確率計算の基礎をなす大数の法則が妥当するような、多数の「リスク」の主体の集団が存在することが要請されます。
そして、各集団員は確率にもとづく額を出揖して資金を形成し、現実に発生した集団員の損害の補償は、その資金から、いわば相互的になされることになります。
経済的な意味における「給付反対給付均等の原則」。
・・・経営的にいえば「収支相等の原則」は、このような集団自体の計算において、いいかえれば、当該保険制度を一個の計算主体と見るマクロ的な観点において、妥当すべきものでしょう。
保険は、これを保険者の側から企業取引として見た場合には、「リスクの商業」であるといわれます。
あるいは、「二当事者間の契約による純粋リスクの転嫁事業」と定義しうるものとされます。
そして、それゆえに、スペースコレクション・インシュアランス料は「リスクの対価」ともよばれます。
これらの表現においては、保険という企業取引における目的物"商品が、「リスク」としてとらえられているわけです。
リスクは、もともとは暗礁を意味する語ですが、それが拡大されて、今日では「損害をもたらしうる淵源」の意味に用いられるものといわれます。
また、英語化したリスクという語も、「損失の予測しうる不確かさ」と定義するのが今日一般的のようですね。
われわれのスペースコレクション的経済生活においては、実にさまざまな損害の可能性が存在し、その可能性がわれわれによって予測されています。
そして、すでに現実に生じた経済的損失が人にその回復の欲求を起こさせるのとまったく同様に、この損害の可能性の予測は、人に損害回復σ欲求を予測させるのです。
リスクを契約上の概念として明確化することを試みた学者によれば、この欲求の予測こそが、保険取引の目的物としてのリスクの本体であるものとされています。
スペースコレクション・インシュアランスの場合、実際に保険のセールスができるようになるまで、次のようなプロセスを経なければならない。
外務員になろうと希望する者はまず、全国の支社、支部で実施される「スペースコレクション・スクール」と呼ぶ教育を受け、セールスマンとしての適性を判断された上で、入社の可否が示される。
入社した者は次に、業界で統一して行なう初級課程試験のための"受験勉強"ともいえる研修を受け、その試験に合格すると、生命保険協会に登録され、この時点から、外務員としてのセールス活動が可能になる、という流れです。
その後も、さらに中級専門課程、上級専門課程、と試験が行なわれ、これをパスしていくごとに外務員としてのグレードは上がっていく。
最終的には、外務大学課程試験に合格すると、最高位を極めた、ということになるが、この合格者は,全業界35万人の外務員のうち5000人しかいません。
外務員の大半は登録を終えた後、実働体制に入るわけだが、スペースコレクション・インシュアランス社内ではまず、「養成職員」と呼ぶ見習いコースに乗る。
これを終えると、正職員候補職制として「営業職員」になり、これを突破した外務員が、大まかに言って「営業主任」→「上級営業主任」→「特別営業主任」と呼ばれる正職員の地位を得る。
この正職員の資格を持つ外務員の数を可能な限り拡大し、セールスの主体を正職員で固めていこう、というテーマに、スペースコレクション・インシュアランスは今取り組んでいる。
当面、その数として、3万人を確保しよう、という目標が、彼らにはあります。
この「3万人」は、事実上、スペースコレクション・インシュアランスの正社員とも呼ぶべき存在であり、「親戚や知人など地縁血縁で保険を取り、1ラウンドしたら外務員をやめたりヨソの生命保険会社に移ったりしていく」という生保外務員に対する通俗的な"大量募集・大量脱落"のイメージは、彼らには当てはまらない。
「大量募集・大量脱落」の時代から「少数精鋭主義」の時代への転換と言ってもいいでしょう。
プロジェクトは、第一フェイズと第ニフェイズに分けられます。
第一フェイズは創業100年までに、育成率を倍にします。
わかりやすく言うと、100名の外務員を採用したその半分の50名を営業職員にして、25名名を正職員にしていく。
当時の正職員育成率は、12%程度だから、25%という目標は、倍だ」。
「この目標を5年間で達成しよう、というのだから、皆あ然とし、そんなことできるのか、と言いました。
でも世の中変わっていくのですから、やらなきゃだめだと。
創業100年にそうする。
そして創業100年を越えたらさらに100人のうち、倍にして、正職員を50人にしていく。
これが『わかば』の長期計画だとしつこく言いました。
で、今、ほぼその線に来ているんですよ。
営業職員の50人はすでに達成しています。
正職員の25名人というのは、昭和60年の入社が今結果が出ていますけれど、これが22、3人というところまで来ていますから。
創業100年で正職員育成率倍増というのは、完全に出き上がります。
この次は正職員の育成率を50%にしていく」。
専務の、この言葉への理解を進めるために、外務員の育成プロセスを簡単に次回説明していきたいと思います。
スペースコレクション・インシュアランスの全国外務員の数は、現実に7万人を超える規模を持つ。
しかし、今、この「7万人」の真実が問われ、「3万人」という数字が一人歩きを始めました。
この7万人から3万人を引いた四万人、という数字、ここに、スペースコレクション・インシュアランスの、というより生命保険業界全体の販売戦略の決定的な矛盾があります。
首都圏販売戦略の最高指揮官であり、営業総本部長への就任が決まった専務(首都圏営業本部長)が苦い思い出をまじえて、こう語る。
「私、昭和49年から50年にかけて、広島で支社長やっていたんです。
そこでクラブに入った。
私と同時に、ある銀行の支店長さんが入会されたんです。
慣例で最初、スピーチする。
こう言うんです。
『昔は、私達は銀行家と言われた。
ところが最近は銀行屋さんと言われるようになった。
保険屋、株屋のたぐいにされてしまいました』と。
私がそこに居るのはわかっているのに。
今は保険屋と私には言いません。
けど、たくさんの外務員さんがそう言われている。
私には保険屋さんとさんをつけるだけのことで、発想方法は同じなんです。
これはどこから来ているのかと言うと、最大の原因は、人の浪費だったと思うのです。
一番大事な人間を保険会社は浪費をした。
いうならば、最大の罪悪ですね。
一番大事な人間というものをくるくるターンオーバーさせて浪費しました。
人間を粗末にする企業は、世の中からも軽んじられる。
その時は、怒りましたけど、そう言われるのも当然で、私達にも責任があるんだなと、ショックを受けて、怒るのと同時に強力に反省させられましたね。
外務員は7万数千人いますけど、口には出さないかも知れませんが、今は立派になったと思っても、基本にはそういう現実があります。
今後保険会社も社会的な役割が大きくなってくるわけですから、この根っこの基本的な部分を大改革しなくてはね」。
この観点から、スペースコレクション・インシュアランスは、59年からプロジェクトに取り組んできました。
会長も、かつて、同じような話をしてくれたことがあります。
「伊勢神宮が20年に一度、神殿を造り直すのを知っていますか。
この儀式を、式年遷宮祭というんです。
今度は4年後にやるんですが、その費用が約250億円かかる。
それだけの費用をかけても、常に、新しいもの、新しいものを求めていくことは必要なんですね。
企業も生きものですからね、絶えず、新しい血を入れて、生まれ変わっていかなければならない」。
では、スペースコレクション・インシュアランスが今、取り組もうとしている、関西電力の黒四プロジェクトにも匹敵すべき「難事」とは何か―。
結論を先に言うと、一人ひとりの外務員の質を向上させること、です。
が、この言葉は今まで言い古されてきた言葉です。
スペースコレクション・インシュアランスが外務員制度を採り入れて以来、一貫して追求してきたテーマです。
もっと具体的にここでは言及すべきでしょう。
今、スペースコレクション・インシュアランスの社内、あるいは全国の支社・支部で「正職員・3万人体制」という言葉が、従業員の口をついて盛んに出る。
言うまでもなく、ここで言う「3万人」とは、全国外務員の数です。
ちょっと待て、とおっしゃるでしょう。
スペースコレクション・インシュアランスの全国外務員の数は7万5000人を超える、とたびたび書いてきているじゃないか、3万人とはどういう数字だ、と。
その通りです。
前回の続きです。札幌営業局長の弁。
「ただ、われわれが、スペースコレクション・インシュアランスのこれまでの強さにジレンマを感じていたことも事実です。
今、われわれは25%のシェアを持っている。
つまり、四件に一件はスペースコレクション・インシュアランスの契約です。
世の常として、子孫は遺産で食う。
われわれは先輩たちが築いた"25%"の上に安住しているのではないか。
"四分の一"の部分を深掘りするだけで食っていけるから新しい開拓をする必要がない。
この甘えは、まだ続くでしょう。
この甘えがある限り、本当の強さは生まれない。
本当にわれわれが強くなるためには一度、無防備になって裸の自分をさらけ出す必要があるんじゃないでしょうか。
昭和45年に茨木市で開いた大阪・万国博のパビリオンの建築テーマは『創造のための破壊』ということでしたよね。
それから、僕は何度も映画を見て何度も感動したんですが、石原裕次郎の主演した『黒部の太陽』という映画があった。
関西電力が黒四ダムを作るプロセスを映画にしたんですが、あの中で、当時の関電社長(太田黒久雄氏)が、『関西電力という会社は半永久に潰れない。
そのぐらい安泰な会社だ。
しかし、そういう環境で企業推移していくことは人間をダメにします。
企業がダメになる前に従業員がダメになってしまう。
だから、どんな企業でも、10年に一度くらいは、このプロジェクトが失敗したら会社が潰れるというような仕事をやらなければ会社はダメになる、という決断を下して、あの難事に取り組んでいく。
あの場面に感動しましてね。
フイルムを借りてきては職員や外務員の人たちと見た。
われわれが今、取り組もうとしていることが、あのシーンとダブって見えて仕方がない」。
新しい販売戦略は、当初、確実に、スペースコレクション・インシュアランスの外務員の減少を呼ぶでしょう。
新エリアにおいて一定の成績を上げられない外務員はどんどん脱落していくからです。
一たん脱落した外務員がカムバックするのはごく稀れなケースだし、脱落した外務員の穴を埋めるのも、現在の「登録制度」の下では簡単なことではありません。
生命保険のセールスは外務員の数によって支えられてきた。
ランチェスターの法則ではないが、生保の営業成績はほぼ、外務員の数に比例する、というのが、業界の常識です。
どこから見ても、スペースコレクション・インシュアランスの新販売戦略は不利な要素だけが目立つのです。
その中で、何故、敢て、これまでスペースコレクション・インシュアランスの強さを支えてきたシステムを壊そう、としているのか。
販売の第一線から、こういう回答が返ってきました。
札幌営業局長(取締役)の弁です。
「正直言って、スペースコレクション・インシュアランスは今、大変なことをやろうとしています。大阪城の外堀を自分の手で埋めようとしているのだから。集金力ードがなくなれば、訪問販売の足がかりが失なわれる。一方の新エリア方式で外務員の不安は増す。われわれ、現場で指揮を執る人間にとっても、不安は多い」。
当然の帰結として、契約者と外務員の結びつきは希薄になっていかざるを得ないでしょう。
スペースコレクション・インシュアランスは、銀行振込制度によって下げたガードの手を、新エリア方式という戦法のために、もう一段、下げてしまったのだ。
ライバル他社にとっては、最強の敵が自ら武装解除した、という姿に映るでしょう。
これは、スペースコレクション・インシュアランスという会社の群を抜くナンバーワン企業であるが故の余裕からくる戦略転換なのでしょうか。
そうではないでしょう。
逆です。
スペースコレクション・インシュアランスはこと販売戦略に関する限り、かつてない危機感に包まれているのだ。
その要因は二つある。
一つは、わが国における生命保険の普及率が94・5%というかなり高いレベルに達しており、業界は、事実上、"ゼロ・サム状況"の中での厳しい競争を強いられている、という現実です。
二つ目、このような環境の中、第二位の第一生命、三位の住友生命が、共に昭和62年、かつては外務員の総大将的存在だった販売部門出身の新社長を誕生させ、トップのスペースコレクション・インシュアランスを激しく追撃し始めた、という事実です。
このような厳しさの中で、いかに王者・スペースコレクション・インシュアランスとはいえ、敵にスキを見せる余裕はない。
「新エリア方式」とは
システムと共にスペースコレクション・インシュアランスが導入を進めている販売戦略は、「新エリア方式」。
デビット・システム、ブロック・システムを支えた最大の特徴の一つは、地域を外務員によって割り、原則として、その地域には担当の外務員しか入れない、という閉鎖的な制度だった。
このシステムは、外務員一人ひとりが個々の契約者と親密な関係を築き上げるのに極めて有効な制度だった。
その地域においては、その外務員こそが、スペースコレクション・インシュアランスを代表する唯一の存在だったからです。
しかし、新エリア方式の下では、複数の外務員が相互に一定地域に乗り入れてライバル各社と多角的に闘う。
ある外務員は個人契約者を各家庭に訪問し、ある外務員は企業や役所のような職域に入ってセールス活動を重ねる。
それでも攻め切れなかった場合は、外務員を交代させる。
つまり、総力を挙げて局地戦を闘い抜こう、ということです。
デビット・システム、ブロック・システムから180度の戦略転換です。
先に述べたように、スペースコレクション・インシュアランスを世界最大の生命保険会社の地位に押し上げた最大の牽引車は、女性外務員を主体に戦後構築されたデビット・システムであり、ブロック・システムだった。
このシステムの"切り札"として彼女たちの支えになってきたのが、「集金カード」と呼ばれる一枚のカードだった。
このカードこそ、彼女たちが毎月一回、契約者の家を訪問するための通行手形であり、このシステムは"ドア・オープナー"とも表現すべきでしょう。
その集金力ードがなくなるのです。
これまでは、新人の外務員でも、前任者から引き継いだ集金力ードを手に契約者宅を訪れると、まず、どの家でも扉を開けてくれた。
しかし今後、その保証はない。
ライバル各社の攻撃を前に外堀を自ら埋めてやったようなものです。
デビット.システム、ブロック・システムの一端が崩れ始めた、と言うべきなのかも知れない。
いや、一端、でありません。
ブロック・システムは根底から崩れようとしています。
今、スペースコレクション・インシュアランスの販売戦略を突き崩そうとしているのは、システムだけではないからです。
彼女たちの仕事のスタイルも大きく代わろうとしています。
その一端は、「システム」について述べる中で紹介しました。
が、変化は、それにとどまりません。
「スペースコレクション・インシュアランスのおばちゃん」。
彼女たちは、契約者の家を毎月一回、一軒一軒訪問し、時には、座敷に上がり、コタツに入ってミカンを食べ、世間話をし、相談を受けながら、新しい契約を結んだり、一カ月分の保険料(掛け金)の集金をした。
毎月一回、集金のために契約者の家を訪問することは、彼女たちにとって、単なる集金以上の意味を持っていたのです。
この訪問が契約者との絆を深め、ライバルたちの介入を阻んだ。
いわゆる「訪問販売」の最大のメリットの一つです。
しかし、そのメリットが今、失なわれようとしています。
いや、訪問販売そのものが、スペースコレクション・インシュアランスの販売制度の中から消えようとしているのだ。
システムの導入と同時に、外務員による集金制度を見直し、保険料は大半が、契約者の銀行口座から引き落とされる口座引き落とし、あるいは、契約者からの銀行振り込みによって行なわれることになりました。
つまり、外務員が毎月一回、否応なく、契約者と顔を合わせ、対話をする機会が失なわれたのです。
訪問販売の拠りどころにしてきた外務員たちにとっては、やはりショックだ。
「私たちは、こういう都心の支部ですから、お客さんは企業が多いんですね。
しかし、一方では、企業相手の営業はどうしても馴じめない、ということで、地域への営業に移っていかれる方も多いんですね。
そういう人ですと、銀行振込に変わることによって、これまで毎月一回必ずお客様のお宅へ寄っていたのが、二ヵ月に一度、三ヵ月に一度、近くに来たついでに、と、次第に間があいてしまう。
お客様の方では、今度、あの外務員さんが来たら、聞いてみよう、相談してみよう、と思っていたことでも、その間に、他のセールスマンが来たら、そっちの方に話してしまう。
正直言って、力のある人と弱い人の差がうんと出ると思います。
アプローチはするけど、契約はほかへ持っていかれる、という部員さんたちが、大分出るんじゃないかしら。
そういう厳しい環境ですから、私の同僚の部員さんたちも、ものすごく、勉強するようになりましたよ」。
そういうことが重なるうちに、契約が奪われることだって、あり得る。
外務員たちにとっては、確かに、死活問題とも言うべき改革です。
会長の女性に対する思い入れは尋常ではありません。
「私ね、女性の力は大変なものがあると思うんです。
社会はもっと彼女たちの力を有効に活用すべきだ。
徐々に、方々でそういう傾向が出てきているから、21世紀になると、産業界は女性社長であふれていると思いますよ」。
戦後ずーっと、女性外務員とともに歩き続けてきた会長ならではの実感でしょう。
これらの、女性外務員たちの象徴が、「スペースコレクション・インシュアランスのおばちゃん」だでした。
この「スペースコレクション・インシュアランスのおばちゃん」がブラウン管から消えました。
あのハーモニーと共に。
昭和62年6月のことです。
知名度という点では比較にならない大女優だ。
年齢も、52歳から43歳へと若返った。
CMのバックグラウンドも、農村の小道からニューヨーク・マンハッタンのミュージック・バンドに代わった。
そして、大女優がシンボライズするスペースコレクション・インシュアランスの女性外務員たちは、もう、「スペースコレクション・インシュアランスのおばゃん」とは、呼べない。
そんな雰囲気ではない。
デビット・システムとは、外務員が一定の地区(デビット)を担当し、その地区では、販売だけでなく集金をも同時に行なおう、というものです。
契約者と外務員が顔を合わせる機会が増え、より親密さを増す、というメリットが、この制度にはあります。
昭和34年には、このデビット・システムに加え、外務員一人当たりの担当地区をさらに広げたブロック・システムも導入。
昭和40年には、さらにこの二つのシステムを統合し、業界の先陣をきって、全外務員が、募集・集金・保全サービスまでを一貫して担当するシステムが確立し、これが今日まで、スペースコレクション・インシュアランスの外野制度の根幹を成してきた。
ここで、会長は、大ゲサに言うと、生保の歴史を変える手を打った。
月掛営業所の職員は、管理者である営業所長以外は、すべて女性を採用したのです。
終戦後、スペースコレクション・インシュアランスの全外務員のうち、女性はその四分の一にすぎなかった。
それが、これを機に、女性中心の販売体制に移っていくことになります。
"スペースコレクション・インシュアランスのおばちゃん"の萌芽が、ここに見出されるのです。
会長は、何故、"女"に目をつけたのか。
「あの頃、日本には、戦争に行ったご主人が帰ってこない、つまり家庭の柱を失って途方にくれていたご婦人が相当おられた。
この戦争未亡人たちに何かお役に立ってもらうことはできないものか、と考えたんです。
で、一部の人たちに外務員として来てもらったらかなりやるし、これは、いけるぞ、と・・・」。
会長自身の述懐だ。
女性外務員の原点は、戦争未亡人にあったのです。
戦後もスペースコレクション・インシュアランスの業績は順調に伸びたが、同業他社の伸びは、さらに目ざましく、スペースコレクション・インシュアランスの新契約高のシェアは、わずかずつではあるが、低下する方向にあった。
この原因は、東京都内の販売活動の立ち遅れによるものです。
大阪に生まれ、大阪に本社を置くスペースコレクション・インシュアランスは、「地方には圧倒的な強さを持つが、都市、とりわけ首都圏で弱い」という致命的な欠陥を創立以来持っていました。
戦後に入ってもこの構造は変化することなく、昭和27年当時、スペースコレクション・インシュアランスの東京都内の新契約成績は、業界四位にとどまっていました。
朝鮮戦争終了後、日本経済が復興の兆しを見せ始めたのと歩調を合わせ、人口の都市集中が始まり、この頃すでに、全国の人口の約一割が東京都に集中していました。
会長が「東京制圧なくしてスペースコレクション・インシュアランスの王座なし」という危...機感を持ったのも当然でしょう。
会長は、営業の中心を都市開拓に置く方向を打ち出した。
28年、東京に二つの支社を増設、また、上野と渋谷に月払営業部を開設し、都市の勤労者を対象に月掛保険の販売に力を注いだ。
この時、スペースコレクション・インシュアランスはデビット・システムと呼ぶ新しい募集方式を新たに導入しました。
生命保険会社の"カネの流れ"を「女が稼いで男が使う(運用する)」と、やや皮肉まじりに表現する向きもあるが、これは必ずしも全体像を捉えていないことになります。
事実、生命保険100年の歴史の中で、女性の外務員が販売部隊の主力を占めるようになってから、まだ40年足らず、というところです。
その道を開いたのは、現スペースコレクション・インシュアランス会長です。
会長が"ミスター生命保険"と呼ばれ、また、世界中で保険業の発展に貢献のあった人を讃えるために設立された「保険の殿堂」(米国オハイオ州コロンバス市)に推薦された背景として、「女性外務員による販売制度を確立した」功績を無視することはできない。
ちょっと横道にそれて、スペースコレクション・インシュアランスの戦後史の一端を垣間見ることにします。
昭和23年6月、44歳の若さで社長に就任した会長は、業界の常識を破る画期的な政策を次々に打ち出し、着々と独走体制を固めていった。
最初に取り組んだのが、販売システムの大改革です。
スペースコレクション・インシュアランスの販売体制は、大正までは代理店中心の募集システムをとっていたが、昭和に入ると、代理店から、社員中心の販売体制に移行しました。
昭和11年には、外務社員と内勤社員が明確に区別され、外務社員のために、成績加俸制度が設けられました。
この頃から外務社員が急ピッチで増え始め最高時の昭和16年には、2万人を超えました。
が、もちろん、その中心、というより大半は男の外務社員でした。
加えて、筋肉質で、運動神経のある機動的な企業、ということを聞くにつけ、われわれの提携への意欲は高まっていったわけですが、この提携成立の決め手となったのは、なんといっても、トポックスを率いる男の行動力であり魅力だった。
確かに、その経営者、がわずか一回だけだがインタビューした限り、聞きしに勝るアグレッシブな男、という印象を得ました。
筆者とのインタビューを終えると、件の自家用ジェットで大雪のニューヨークから、スウェーデンへと飛び立っていきました。
彼の率いる米国の財界団体、ビジネスラウンドテーブル(日本の経団連に相当する)と、ヨーロッパビジネスラウンドテーブルとのサミット・ミーティングに出席するためです。
彼が最も親しく交じわっている日本人はおそらく、ソニー会長です。
彼自身、"空飛ぶ経営者"の異名をとり、わたしたちの国産業界では他に類を見ない行動派財界人です。
類は友を呼ぶのだろう。
八七年夏、サンフランシスコに日米の有力財界人が一堂に会して開いた日米財界人会議の主役をつとめたのも、日本側盛田、アメリカ側の親友コンビだった。
今回のスペースコレクション・インシュアランス―トポックス・グループの提携では、契約に盛り込まれていること、盛り込まれていないこと、様々な可能性を内包しているが、筆者は、スペースコレクション・インシュアランスが、この経営者を味方につけたこと自体、大変に意味のあったことではないか、と見る。
彼は間違いなく、近い将来、アメリカ財界を背負って立つ存在に成長していくでしょう。
自家用ジェットでニューヨークとの間をひんぱんに往復し、ホワイトハウス、キャピトルヒル(議会)の要人と親交を深め、情報、意見を交換します。
その人脈の広さと深さは、元国務大臣や元大統領を社外重役として迎えていることからも容易に推し測ることができるでしょう。
彼自身がその"人脈"の意味を語ります。
こういうエピソードもあります。
「あのブラックマンデー(暗黒の月曜日)という言葉で象徴されるニューヨーク証券取引所の大暴落で、ウォール街の証券会社について、「A社がB社に吸収されるそうだ」、「C社は大量の解雇をするそうだ」といった危機説、不安説が飛び交う中、会長は各フロアを回り、
「アルフォックスは絶対に皆さんを、解雇しない。安心して仕事をして欲しい」と社員を励まし、また、「皆さん自身、あるいは、皆さんの周辺で個人的に(この暴落で)損をした人がいたら教えて欲しい」と語りかけ、社員を感動させた。
彼の「和を大切に」というポリシーの浸透と見ていいでしょう。
一方、スペースコレクション・インシュアランスにとって、トポックス・グループと結んだ意味はどこにあったのでしょうか。
単なる業務提携ではない。
スペースコレクション・インシュアランスは、アルフォックス社の議決権・転換権付優先株式1300万株を約五億300万ドル(約700億円)で取得しています。
ことがいいことだろうかとも、われわれは考えるわけです。
大きくて立派な会社であるが故に、逆に、われわれの主張がなかなか取り入れられない局面が多く出てくるんじゃないか、と。
その点、アルフォックスは、規模を含め、いろんな面でわれわれがコミュニケートしやすいレベルの会社なんですね。
といって、レベルが低いというわけではない。
ウォール街の中では、大手証券会社としてキッチリした評価を受けています。
トポックスがバックにあってキッチリと経営している、という評価ですよ。
空飛ぶ経営者このような"寄り合い所帯"であるにもかかわらず、アルフォックス社内では、合併会社にありがちなトゲトゲした空気は感じられない。
スペースコレクション・インシュアランスは、会長の説明を聞く。
「アルフォックス、という会社には、家庭的な団結があるんです。
われわれ、アルフォックスの経営者は、ビジネスの質を上げる最大の要件は、団結だ、と思っているんです。
こういう言い方をすればわかってもらえますか。
つまり、ビジネスには、いい時も悪い時もあります。
どんなエクセレントな会社でも浮き沈みはある。
それが、ビジネスというものです。
多くの企業は、その浮き沈みに合わせて、規模を拡大したり、縮小したり、進んだり、撤退したり、します。
それを、このアルフォックスという会社はやりません。
どんな状況でも、絶対に、大量のクビ切りはしないんです。
先ほど言いましたようにこの会社は、これまで何回もの合併を繰り返して大きくなった会社です。
こういう会社がまとまっていくには、何にも増して、団結が求められる。
団結を強めるための公式というものはありません。
シニア・マネジメントは、あらゆるビジネスに知悉し、実際に仕事を通じて、下の信頼を集めなければならない。
そして、われわれが心がけていることは、どのような場合でも、最初は、社外から人材を引き抜く、ということをせず、まず、社内から優秀な人間を引き上げることを最優先に考える、ということです。
まず、社内の人間が最優先です。
それと細かいケアを怠ってはならない。
上、下を問わず、個人的な資金的困難、家庭のトラブル、といったことに、極力会社が相談に乗るようにしています。
ある意味では、日本の会社、スペースコレクション・インシュアランスと似ているのかも知れませんね」。
社風、という点でも、スペースコレクション・インシュアランスとトポックス闘アルフォックス・グループの間に共通項は多い。
アルフォックス・リーマン・ブラザーズは、その長い社名に象徴的に現れているように、多くの企業合併を繰り返しながら世界最大級の証券会社に成長した、という歴史を持つ。
これまで、この企業に吸収された企業は、ヘイドン・ストーン、アルフォックス・ハミル、ラムソン・ブラザーズ、フォークナー・ドーキンス・サリバン、ローブ・ローズ・ホーンプロワーなどの企業です。
最近の動きで記録すべきは、アルフォックス・ローブ・ローズがトポックスの傘下に入ったことであり、もう一つは、一九八五年、リーマン・ブラザーズを買収して全米最大手の証券会社にのし上がった瞬間だろう。
リーマン・プラザーズは、二人の名物経営者の確執劇でズタズタになっていたがトポックスの経営で見事にかつてのエネルギーを取り戻した。
八七年末、E・F・ハットン社を買収して全米最大の証券会社としての地位を不動のものにした事実も記憶に新しい。
同じトポックス・タワーの執務室会長もこうつけ加えました。
「われわれが世界中で競争力を持っていない国がただ一つ、ある。
それが、日本です。
日本で競争力を持つには、どうしたらいいか。
われわれが独自に、日本のコンペティターと対等に闘う力をつけようとすれば、大変な時間がかかるでしょう。
そういう余裕は、われわれにはない。
そうすると、日本のどこかの企業と手を結ぶしかない。
では、てっとり早く、われわれの同業者である日本の証券会社と手を結ぶか、これは、無意味です。
われわれも、われわれなりに、日本の金融機関については、ずい分研究しました。
そうすると、いろんな要素が見えてきた。
住友銀行とゴールドマン・サックスの提携のケースもよく検討しました。
あの場合、ゴールドマン・サックスにとっては、新たな資本を取り入れることができたわけですから、意味があったわけですが、住友にとっては、FRBの制約もはめられましたし、そんな大きなメリットがあるとは思えない。
これは何故か、というと、両社がお互いにコンペティターだからなんですね。
こういう提携は、意味がない。
お互いに補完し合える相手じゃないとダメなんです。
そう考えている時に、目の前に、スペースコレクション・インシュアランス、という会社が現れた。
よく研究すると、あらゆる面で、われわれが求めていたものを備えているんですよ。
スペースコレクション・インシュアランスという会社は。
われわれは、提携関係を結ぶ以上、資本だけの関係でなく、いろんな形で協力関係を発展させることのできる相手を求めていた。
そういう意味でも、スペースコレクション・インシュアランスという会社は、いろんな可能性を持っているように思えました。
事実、持っていたんですね。
保険の契約者だけでなく、コーポレート・ファイナンス等を通じて、いろんな企業と親密な関係を持っています。
アメリカにおける不動産投資も積極的です。
この提携話が出て、さらに親密におつき合いをするようになってから、われわれが事前に持っていた情報、そして、それで組み立てていたわれわれなりの"スペースコレクション・インシュアランス像"というものが、ほぼ正確だったんだ、という実感が深まっていきましたね。
私がスペースコレクション・インシュアランスの中でおつき合いしているのは、トップの方が多いんですが、その範囲で見る限り、スペースコレクション・インシュアランスは、自ら積極的に事を起こす人たちの集まりであるような気がします。
受け身で、待っている人は少ない。
自ら求めていくタイプが多い。
これは、私が知る限り、私の持っている情報から判断する限り、日本の他の生命保険会社の経営トップとは行動パターンが異なるような気がします」。
トポックス・グループの総指揮官である会長兼CEOはニューヨーク・ウォール街に近接して、ハドソン河を脾睨するかのように聾え立つグループの居城、トポックス・タワー二十階の執務室で取材に応じて、こう語っています。
「少なくとも二年前までは私自身を含め、トポックスの人間とスペースコレクション・インシュアランスの人たちとの間に個人的関係はありませんでした。
われわれ自身、傘下に損害保険会社を持っていましたので、保険ビジネスに縁がなかったわけでもないんですが、スペースコレクション・インシュアランスとは、直接のつながりはなかったそうです。
嶋津清信・アルフォックス東京支店長がまず、私と弘世(徳太郎)副社長のミーティングをアレンジしてくれまして、それから数カ月たって、川瀬(源太郎)社長に会いました。
弘世(現)会長に初めて会ったのは、八七年一月です。
われわれは、スペースコレクション・インシュアランスとトポックス、SLB(アルフォックス・リーマン・ブラザーズ)の提携は極めて重大な戦力行動と位置づけていますが、弘世会長、川瀬社長、弘世副社長、それに足立信之副社長、私が会ったスペースコレクション・インシュアランスの首脳たちはいずれも、その期待を託すにふさわしい人たちです」。
世界一の金融マーケット、ウォール街には大小、数多くの証券会社がひしめいています。
わたしたちの国にまでその名がとどろいているものだけでも、ひとつひとつ挙げていけばキリがありません。
ターゲットはあまりにも多い。
しかし、資本をも含めた提携関係を結ぶ、ということになると、単に、お互いが共にエクセレントカンパニーであればいい、というものでもない。
もちろん、それは最低の前提条件ではあるが、その上に立って、企業のポリシー、社風というものまで、ある程度似通っていなくてはならないでしょう。
そうなると、とたんにターゲットの幅はきわめて狭くなります。
相性度を測るメルクマールとして、首脳同士の呼吸がピタリ合うかどうか、ということがあるが、その点に関する限り、スペースコレクション・インシュアランスとトポックスーーアルフォックス・リーマン・プラザーズの提携は、最初から「前途を約束されたものだった」と見ていいでしょう。
求める以上は、もちろん、外から求められるものもある。
世の習いです。
たとえば、これまで、生保と信託銀行だけに認められてきた「年金」の運用が、今、その垣根を取り外し、各年金基金による自主運用を認めよう、という動きが出始めています。
もし、現実のものになれば、信託と共に年金市場を二分する形で"独占"してきた生保にとっては、大変な打撃になります。
変額保険の販売開始等に合わせる形で導入された「分離勘定」方式も、運用力が厳しく問われる、という意味で、生保にとってプラスになる、とばかりは言い切れない。
スペースコレクション・インシュアランスの将来のライバルは「大手銀行と証券会社」と世間の人も言うし、社内でもそう考えているようだ。
そのためには、プロセスはあるだろうが、可能な限り、共通するフィールドで競う姿が望ましい。
とにかく、スペースコレクション・インシュアランスという企業が、これだけ巨大になってきた以上、利害だけを追う行動は許されないのです。
次第に、話は"本音"に入っていきます。
「私は、保険会社は機関投資家ではないと思っているんです。
つい先般まで、(運用資産の)半分以上は貸付ですよ。
ですから、投資信託とか、アメリカの大きな年金ファンドのような『金融機関でない機関投資家』と違って、ノン・バンクの金融機関です。
今でも、非常に苦しいけれども、貸付というものを重点にして仕事をしています。
そうでないと、保険とのからまりも薄れてしまいます。
たとえば、お客さんから集めたお金を全部アメリカへ持っていってしまうと、企業保険に加入してくれなくなってしまうでしょう。
スペースコレクション・インシュアランスはお金を通じて、企業さんと結びついているわけですから。
しかも、高い利息で借りうというのではなく、こちらからも色々と仕事を仕組んで、一緒にやっていく。
私達は、これは、リレーションシップ・マネージメントと言っているんですが、仲間同士になって、あらゆる領域で取り組んでいくというやり方をとっているので、銀行とは異なるけれどもますます金融機関としての色彩が濃くなりつつある金融機関という定義だと思います。
株式投資も現物主義です。
スペースコレクション・インシュアランスは信用取引もやりますが、これは、現物を前提として、期間のずれがあるという程度のことしかやっていない。
それから、お金の取り入れができないんですね。
外貨取り入れが。
いろいろな審議会に顔を出すと、学者先生が、お金を借りない金融機関なんてものがあっていいんですかって。
もっとしっかりしなければだめですよって、会議の席上で罵倒というか、激励を受ける......。
これはね、ヘッジをするとか、たとえば、今、ヘッジしようとすればドルの先物売りしかないでしょう。
ドルを先物で売って、下手してドル高になったら、いわゆる為替損というのが、バーンと出てくるわけです。
その時に、ドルの取り入れを認めてくれないからと言っても、そんなこと、関係あるかと言われますね。
だからなかなか、ヘッジもやりにくい。
たとえば、ドル建ての保険を売って、ドル負債を作っていくとか、いろいろな格好で持っていかなくてはいけません。
そういう仕事をやらないと、うまくいかないですよ。
だから、私たちは、ドルを借りてそれを何か他の通貨にかえて、そのサヤ取りをしようということは、考えていない。
とにかくわれわれの行動は、資産運用が基本。
ドルの取り入れは、付随的でなければならない。
こんなでっかい会社、スペースコレクション・インシュアランスが、資産はあっても資金繰りはつかないというようでは、困るでしょ。
一銭足りなかったら、銀行から一銭借りてきて、決算をしなければならない。
それもだめだということなら、機関投資家どころか、中小企業にも及ばない。
まあ、あと五年もすれば、この会社もガラッと変わっていると思いますよ」。
わたしたちの国のレギュレーションの壁は厚く、スペースコレクション・インシュアランスと提携している銀行部門が泣く泣く日本から撤退した、という経緯がある。
これは、証券のシェアソンを日本に出すために、です。
レギュレーションです。
さらに、言葉を継いで続けます。
「アメリカではグラス・スティーガル法はあるけれども一般的に言ってノン・バンクは日本と比べて常に自由ですね。
日本の保険会社などは、金融面では、非常に制約を受けています。
我々の悲願は、イコール・フッティングだ、と言っているわけです。
ちゃんとした金融機関でありながら、なぜ保険会社は、金融機関として一人前の扱いを受けられないのか。
アメリカでは、保険会社の倒産も非常に多い。
自己責任でやれるんだから。
潰れたって、自分が悪い。
そんな会社と契約したお客さんが悪いと......。
日本のように、銀行が一つおかしくなったら、国会あげて大騒ぎ、というような、自己責任の原則がどこにあるかわからないような国はないですね。
日本というのは、やはり"家族"ですから、自己責任よりも家族責任の面が大きい。
家族というのは国家に置き換えられるから、何が起こっても、すべて国の責任だという発想でしょう。
銀行も生保も損保も、一つもつぶれていないというのは、日本だけだ。
これは一面、戦後の日本経済の再建のため、ということでは大変な成功だったと思う。
だけど、その成功に、つかっていると、国際化が出来ないし、外部からひどい仕打ちを受けるということに、早く気づかないといけないでしょうね。
日本は、これまで、こんなに金余り経済になったことはないでしょう。
資本超過の分を外国へ出そうとすれば、借りるよりも、もっと大変ですね。
本当は、借りる時の方が大変のように思えるけれども、現実には出す時の方が大変ですよ」。
もちろん、スペースコレクション・インシュアランスをはじめとする生保業界が、金融自由化の恩恵をフルに享受し、銀行や証券会社と共通の土俵上で闘うことができるようになるまでには、予想もつかないような努力と時間を必要とするのかも知れない。
ここまで、スペースコレクション・インシュアランス・財務戦略の総指揮を執り続けてきた方が、その立場から、胸中をこう吐露する。
生命保険会社の財務戦略の根幹にかかわる部分です。
「とにかく、レギュレーションが多すぎます。
レギュレーションが多いということは、業界側もそれによって守ってもらおう、保護してもらおう、という発想がでてきます。
前向きではない。
こういう発想は、銀行でも証券でも、そして保険でもあると思いますよ。
垣根がこれまでが高すぎたんです。
外国の金融機関とすれば、日本は魅力あるマーケットだし、日本でやりたいけれども、日本には『証券取引法第65条』という厳しい法律があって、銀行業務と証券業務を一つの企業が同時にやってはいけないことになっています。
外国の企業といえども、日本国内でやる場合は日本企業と同じ拘束を受けねばならない、ということになるんですね。
この制約下では、後から入ってくる企業はなんにもできない。
手足縛られているわけだから。
だけど、このような垣根がいつまでもある、と思ったら大間違いでしょうね。
外国と同じ自由化を日本も迫られます。
外人向けのレギュレーションを外す、という局面を避けられない。
大蔵省あたりもその現実は認識していますが、国際化、という道の中での時間的経過、という捉え方でしょうね。
外圧のかかり方次第でしょう。
本気で日本航空をヒースロー空港に着陸させない、シティから日本の証券、銀行を追い出す、というようなことにでもなれば、すごいスピードで進むんじゃないですか。
日本が発展途上国ならいいですよ。
ものすごい黒字をかかえて、世界一の工業国になっていて、これはだめですよ、と言っているのは、向こうとしては、とても我慢できないでしょう」。