青医連の当面のターゲットはインターン制度廃止でした。
アメリカの医学生と違い、臨床経験ゼロで卒業する日本の医学生にとって、全科の臨床を回るインターン制度は、アメリカの卒業生以上に必要なはずでした。
しかし、彼らはこう反論します。
医局ではインターンは、自分のところに来るか来ないかわからない者を教える暇はないと邪魔者扱いにされ、1年間をむだに過ごすことになってしまう。
そんな制度ならむしろないほうがありがたい・・・。
これに対して教授連は、本音ではインターン制度など廃止したい。
しかし立場上は擁護しなければなりません。
つまり、学生たちは必要性を十分に認めても、現行のままならむしろないほうがよい。
一方、教授たちは必要性を認めないけれども、表向きは守らなければならないと言う・・・。
まことに奇妙にねじれた立場同士の話し合いはもつれにもつれたのです。
・・・そして最終的には、インターン制度は廃止されることになります。
こうして、全身脱毛 など美容外科業界の歴史ははじまったのです。
2011年8月アーカイブ
日本の現状を改善するためには、まず全身脱毛 などを行う形成外科の専門医を育成しなければなりません。
そのためにはレジデント制度を確立して、外科の修練を終えた者だけに形成を学ばせる必要があると思い至りました。
このアメリカ方式を、がむしゃらに日本に、しかも東大に導入しようとふんばったのだから、いま考えると滑稽でもあります。
そのころ沸き上がった青年医師連合、通称"青医連"の運動も追い風になるかに見えました。
やがては史上まれにみる学園紛争となった大学紛争も、元は青医連の、まともな卒後研修を受けたいという要望が始まりだったからです。
医学部を出ても聴診器一つまともに使えません。
なんとか卒後教育を充実させてほしい、という真摯な願いでした。
それに対して教授陣は、あれはただの跳ねっ返りの騒ぎにすぎないと相手にしません。
・・・やがて運動はエスカレートし、そのうちに三派を巻き込んだ学生運動となり、最後は安田講堂での攻防戦にまで発展します。